2022-08-01
森本
前回のコラムの「断捨離は日頃から」には大いに納得ですが、自分的には「スッキリした~!」という達成感も欲しいので、たまに行う「大・整理整頓」も大切にしたいなと思いました。
そもそも「断捨離」って何、から始めて、自分にもできる術を考えてみました。
以下は、私が思う、もしかすると手前勝手な「断捨離論」であり、自分でも実践できるレベルの「断捨離術」です。
余計なモノを遮「断」し、不要なモノを「捨」て、執着から「離」れることが「断捨離」です。
それはヨガの教えと違う、なんて言わないでください。あくまで私が勝手にそう考えている、という話です。
まずは「断」。これは私が考えるに「購買意欲をそそるセールスに乗らない」ということです(断言していますが、あくまで個人的な意見ですのでお許しを)。
言い換えると「安売りしているから」や「タイムセール中だから」や「ポイント還元率が高いから」という理由で、モノを購入してはいけない、ということ。
本当に必要なものならば安売りしていなくても必要だし、セール中でなければ購入しないのならばそれはそんなに必要なものではない、ということです。
残念ながら世の中には誘惑だらけの広告が蔓延しているので、すべての情報を遮断することはできませんが、負けないぞ、という気持ちが必要(笑)。
でもたまに「この価格なら」と思って負けてしまうこともあるでしょう。
それは仕方ないことだと思います。そんなに人間、誰しも強いわけじゃないので、負けてしまった時には、負けた事実を重く受け止め、次の戦いには勝利するぞ、くらいの気持ちでいましょう。
不要なモノを「捨」てるには、二つのスキルが必要です。一つは「不要なモノを見極める」こと、もう一つは「捨てることへの抵抗感との葛藤」です。
何が不要かそうでないか判断するのは人それぞれで色んな方法があるようです。私の場合は「放置した期間」での判断。まぁ、一年間使わなかったモノは不用品の可能性が高いし、二年間未使用なら、この先使うこと本当にあるのか、といった感じで処分の対象にしてます。服も食器も台所用品も収納グッズも照明家具も文房具も事務用品も二年間使わなかったものとはオサラバです。
ただし、大工道具と書籍は捨てられません。「広辞苑」も「大辞林」もどちらも十年くらい開いてないのに捨てられません(困ってます)。
捨てることへの抵抗感との戦いは「慣れ」の問題かもしれません。
以前は、友人や親類に引き取ってもらったりしてましたが、自分が要らないものは多くの人も要らないという事実に気づいてからは、「使える使えない」という物差しは、「ゴミかそうでないか」という物差しとは別だと気づきました。ゴミはゴミ箱へ、です。
最後に「離」。モノに執着しない、とはどういうことでしょう。
一般的な断捨離論では「無用なものとの執着から離れる(=離行)」と説明されますが、その説明は「断捨離=モノを手放す」という現代日本の風潮に流されている、というか、偏狭な解釈だと思います。
私がたどり着いた「離」の本質は「変化すること」です。
言い換えると「変化を恐れない、変化を受け入れる、変化を楽しむ」姿勢が「離」だと考えます(何度も言いますが、私的解釈、ですよ)。
私達は日々、いろんな「こだわり」や「好きなモノ」や「快適さ」に囲まれて生活していますが、そうしたモノへのコダワリを断ち切ることが「離」。でも現実に文明の利器を手放すなんてできないので少なくとも、たまぁ~に別の選択肢を採ること(=変化すること)が肝要だと思います。
なぁ~に、一度離れたって、またくっつけばイイじゃないか、と軽く考えています。
一般的に言われる断捨離の効果としては「価値観の構築・再認識」「お金が貯まる」「時間の節約」「ストレス軽減」「運気が上がる(風水的な意味で)」等が挙げられます。
「運気が上がる」以外はどれも納得。
でも私が一番に目指すのは「スッキリした~!」という達成感を味わうことなので、日々、断捨離を実践すべきかどうか、悩ましい問題です。