2012-03-19
高尾
はじめまして、スタコラ初投稿のアントン高尾です。
何を書こうかと思い仕事もなぁと過去のスタコラを覗いたら、前回の柿本さんの「デジタルマシーン」に対して、アナログなフィジカルテーマで行こうと決めました。
フィジカルテーマで旬なことは「マラソン」です。
先日、ロンドンオリンピックの最終選考だった琵琶湖毎日マラソンにて、日本人のデッドヒートは観ているものを熱くさせましたね。
レースは期待された堀端選手が中盤まで引っ張り、走力で定評のある中本選手がラスト前で抜き去り、最後はなんと一般参加から出場した山本選手が驚異の追い上げによって
日本人トップでゴールするという幕引き。
この結果により昨年の福岡国際(12月)・今年の東京(2月)に続いて、選考で陸連泣かせのマラソン上位者の頑張りでした。
さて、昨今のマラソンブームはブームを越えて一つのステータスを作り上げています。
東京マラソンの応募者数は10倍を超え、このブームにより皇居の周りでは
歩く人とウォ-キングする人とジョギングする人がぶつかり合う事件まで起こり、昨年は大阪、神戸、今年は熊本、京都と全国でも都会マラソンの大会が続々と生まれています。
一昔前までマラソンは、地域おこしのひとつとして発生してきましたが、交通規制や地域との調整が面倒なため、地方それも田舎の地域で行われることが多かったように思われます。
しかしここ最近都会で開催されはじめ、ここ福岡で開催されているハーフと10キロの種目だった「シティマラソン」もフルマラソンを開催しようという署名運動が行われています。
なぜ人は走るのか。
そこに道があるから・・・と言うコメントだけではいけませんね。(笑)
私の好きな本のひとつに村上春樹氏の「走ることについて語るときに僕の語ること」があります。
村上春樹氏はご存知の通り日本を代表する作家ですが、この本の題名を見て、村上春樹氏って走るんだと初めて知り、即購入して読みました。
内容は、走ることをベースにエッセイ的自分史を作り上げられており、ある書評には
走ることは彼自身の生き方をどのように変え、
彼の書く小説をどのように変えてきたのだろう?
日々路上に流された汗は、何をもたらしてくれたのか?
とあり、日々、起きて顔を洗うように走ることをどのようにルーティンワークにしているか、マラソンの発祥地アテネにて走った経験など含めて書かれています。
一作家のマラソンネタを引っ張り出しましたが、一市民ランナーとしての私はここ3か月連続でフルマラソンに参加しました。
11月山口(下関海響)、12月宮崎(青島太平洋)、1月鹿児島(指宿菜の花)。
どの地域もボランティアの方々の応援が素晴らしく(特に指宿)、いい思い出になっております。まさに記録より記憶です。
走る理由はこの思い出を作ることや、体を鍛える、ダイエットのためなど人それぞれです。
また大会に出てゴールした瞬間は、プチ達成感を誰もが味わっています。
以前ランナーの野口みずきさんが「走った距離は裏切らない」とコメントしていますが、まさにそれまでやってきた積み重ねが的確に出ます。
ラッキーはありません。これが人を走らせているのではないでしょうか。
この感触はまさにフィジカルなものと思います。
私はこの感覚を今後もライフワークとして大切に味わっていきたいと思っています。