2019-02-04
柿本
もう随分、昔の話だが。祖母の晩年を見届けられなかった。
痴呆が進行して、性格がキツくなり(よくあることらしい)、「やさしいおばあちゃんの思い出のままでいて欲しいから連絡しなかった」という母の決断があったからだ。
祖母は晩年、攻撃的になると同時に物忘れが進み、最後は自分の娘、すなわち母の顔も忘れてしまったそうだ。
こんなとき、「どうして娘の顔もわからなくなったの!?」と、嘆き混じりに怒りの言葉を浴びせる人もいるだろう。
しかし、母は違っていた。
ある日、病室に入ると祖母は18歳になっていたという。働き始めたばかりの事務職員。そして私の母は、なぜか職場の所長さんだ。
「所長さん!」
「こんにちは、今日も来ましたよ」
空想の世界で、歳が逆転した親子の穏やかな会話が交わされる。
昨日はこんなことがありました。今朝は〇〇を食べました。昨日、お見舞いに来た人は怒ってばかりで冷たかった…などなど。
実は、怒ってばかりだったのは、私の叔母である。性格が真面目で、自分のことがわからなくなった祖母の姿が悔しくてしょうがなかったのだろう。
もっともだ。普通の反応だと思う。
「所長さんは…私に優しいですね…」
「そうですか?」
こんな調子で母は、ずっと祖母の空想に付き合いながら、一方で、やさしいおばあちゃん像を残すため病状を私には告げず、最後まで女優を演じ切った。
ときどき、「本来の祖母」に戻ることもあったという。臨機応変に対応するのは簡単ではなかっただろうが、母いわく、ときどき嬉しい、それで十分だったそうだ。
くるくる変わる役どころを、機転とユーモアで乗り切ったのは立派だと思う。家庭内オスカー賞をあげたいくらいだ。
高齢化社会となり、この話はどこの家庭でもありうる。
もしかしたら、あなたも似たような役者を演じたことがあるのでは?
あなたもなれます、オスカー女優。