スタコラ:2006-06-12

身近な少子化問題

2006-06-12
神戸

つい先日、遠い親戚にあたる女性が亡くなって、通夜と葬儀に参列した。
90歳を超えての大往生であるだけに、悲しみに取り乱す風景もなく葬儀は諸事淡々と進められた。息子である喪主が高い社会的地位を得ているせいか、訪れる弔問客は多くその雰囲気は良かった。最後に行われた喪主挨拶も、冷静で格調高く、故人を偲ぶにふさわしいものであった。
しかし、葬儀が終わり親族との最後のお別れになったとき、棺の周りに集まった親族の少なさに愕然とした。故人が一人っ子でその子供が一人に孫二人のという典型的な少子家系であったのだ。

生前の故人とさほど付き合いのなかった私としては、遠くから出棺を見送るつもりでいたのだが、親族の数不足を補うために居残って、棺を運ぶのに手を貸し、さらに野辺送りのバスに乗り込むはめになってしまった。
バスは20分を要して山間の火葬場に着いたが、他にも多くの火葬者があり、遺族待合室は観光客が到着したホテルのロビーのように賑わっていた。
それでも、前日の通夜に始まった儀式は、葬儀社のマニュアルにそって寸分の狂いもなく進められて、骨は時間通りに骨壷に納まった。

若い世代に、晩婚化、独身志向が強まり、少子化に歯止めがかかりそうにない。
その裏には、人付き合いのわずらわしさを厭う現代っ子の気持ちがあるのだろう。
しかし、人は、いかに強がっても一人で生きてゆくことはできない。「誰の世話にもならねえ」と粋がってみても、最後は誰かに棺を担いでもらい、誰かに骨を拾ってもらわなければ往生できないようにできている。
帰りのバスの中で、自分の棺を担いでくれそうな顔ぶれを想像した。
男でないといけないらしい、とすると、血縁の少ない自分にとって、どう考えても不足しそうだ。
老後に備えて、経済的に多少の準備はできるとしても、かっこよく一生を終えるためには何やら不安がのこる。

少子化は、大きな社会問題であり政治課題にもなっている。女性の高学歴化、晩婚化、未婚化、住環境問題、教育問題などが複雑に絡み合っているのだが、未だ明確な解決策はない。
少子化問題は、年金制度、介護保険制度など、社会秩序の維持につながるマクロな問題であるが、同時に、自分の棺の担ぎ手がいないという身近で深刻な問題でもある。
葬儀社には少子化時代の葬儀のあり方を考え直してもらわなければならない時期にきているようだ。

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