2015-08-17
大隈昭子
8月は平和を考える月。
6日の広島、9日の長崎、特に今年は被爆70周年で、マスコミも繰り返し報じています。
6日あるいは9日に、夏休み中の子どもたちが登下校している姿を見かけます。
長崎は、私が短大時代を長崎で過ごしたこともあって、9日、長崎市主催の平和式典の様子をテレビで観ました。
平和式典で田上富久市長は、長崎平和宣言
として
と指摘し、戦争法案の慎重審議を求めました。原子爆弾のすさまじい破壊力を身をもって知った被爆者は、核兵器は存在してはならない、そして二度と戦争をしてはならないと深く、強く、心に刻みました。
日本国憲法における平和の理念は、こうしたつらく厳しい経験と戦争の反省の中から、生まれ、戦後、我が国は平和国家としての道を歩んできました。長崎や広島の被爆体験だけでなく、東京をはじめ多くの街を破壊した空襲、沖縄戦、そしてアジアの多くの人々を苦しめた悲惨な戦争の記憶を語り継いでいくことが必要だ。
日本国憲法の平和の理念が今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっている
被爆者を代表して日本原水爆被害者団体協議会の谷口稜曄(たにぐちすみてる)さんが平和への誓い
を述べ、
「70年前のこの日、この上空に投下されたアメリカの原爆によって、一瞬にして7万余の人々が殺されました。
まっ黒く焼け焦げた死体。倒壊した建物の下から助けを求める声。肉はちぎれ、ぶらさがり、腸が露出している人。・・・」
と爆心地の惨状を述べたうえで、
「私はこの70年の間に倒れた多くの仲間の遺志を引き継ぎ、戦争のない、核兵器のない世界の実現のため、生きている限り、戦争と原爆被害の生き証人の一人として、その実相を世界中に語り続けることを、平和を願うすべての皆さんの前で心から誓います。」
と訴えられました。
この谷口さんの平和への誓い
と夏休みに平和授業に登校する子どもたちの姿に、あらためて、二度と戦争を繰り返してはいけない平和な世界を築くために、後世へ語り継ぐことの大切さと責任を感じました。