2020-09-28
柿本
高校は山の上にあった。汗だくで遅刻してはマズいので行きはバスで、帰りは仲間たちとダベりながら歩いて、というのが常だった。
帰り道の、とある場所。小さな路地に差し掛かるとき、きまって初老のおじさんがウォーキングしているのに出くわした。
ウォーキングと言っても、現在、みんなが健康のため公園などをカッコいいウェアをまとってしているような、それとは違って、おじさんの移動距離はものすごく短い。往復距離は玄関から出て10メートルもないのでは。そして、衣装は夏はステテコ、寒くなったらモモヒキだ。
「今日もいたね!」笑いながら、彼のことをウォーキングおじさん、と命名した。命名しただけでなく、歌にもした。「また出た出た出た、出た〜、ウォーキングおじさん〰♪」と。
見知らぬ他人様の行動を面白がって、名付け、歌にもし、カセットテープに録音して私の楽曲のファンである4名に(残念ながらいまでもこの人数は増えていない)渡す。
もし、当時、Twitter や Facebook があったら悪童の私はおじさんの動画を撮って歌をつけ世界に公開していたかもしれない。完全にプライバシー&肖像権侵害の、はい、アウト!である。
いま思えば、彼も健康のため、もしかするとリハビリ?のため、毎日一生懸命歩いていたのかもしれない。
子供の頃はこういう想像力が働かない。
ときが過ぎ、自分も家庭を持ち、子供が出来て、小学生になった頃、PTA 活動の一環で、通学路の横断歩道おじさんとして何度か朝早く、子供の安全を見守る立場になった。
自分大好き人間の私は、「おはよう!」と声をかける自分自身の姿に酔っていた…。「俺はいま、いいことをしている。想像力が足らず、失礼極まりなかったあの頃とは違う!」
既に SNS 全盛の時代だ。もちろん、私は自分自身の晴れの姿を自撮りし、自慢げにアップした!
「さすがですね!」「朝早くからお疲れ様です!」友達は少ないので数は多くないが、予想通りのレスポンス(いいね)がついた。よし!(人間の本質はあまり成長しないのかもしれない…)
見守りおじさんの時間が終わり、家に帰ろうとしたとき、ウォーキングしている(別の)おじさんを見た。
「まあ、自分の健康のためウォーキングは、するよね」他人のため、子供のため、いいことをしたばかりの私は余裕の視線で彼を見つめた。おや?両手に何か持っている。あれはなんだ?レジ袋と、長めのトングみたいな、、、!?
そう、おじさんはウォーキングするだけでなく、タバコの吸い殻など、道に落ちているゴミを拾って袋に入れていたのだ!
日本の道路はキレイだと言われている。深夜、道路を舐めるようにゴミを吸い取りながら運行するあの清掃車だけでは、歩道のゴミは拾えない。街の綺麗さはこれら、「ウォーキング清掃おじさん」によって保たれていたのだ!
「お、おぅ。。。」
人間として、自分の徳の低さを私は恥じたのか?痛感し、少しは反省したのか?…しないんだな、これが。歳を取るとナカナカね…。だからせめて、感謝することにした。
ありがとう、ウォーキングおじさん!