2020-12-07
森本
「初めて買ったCD、レコードのアーティスト名は?」
長年未使用だったあるウェブサービスのログイン認証画面でのこと。
そのサービスでアカウントを作る際にパスワードとは別にいくつかの質問をされ、それに答えたのだろう。「母親の旧姓」や「出身校」のような一意に決まる問いならともかく、「好きな食べ物」や「感動した映画タイトル」なんて設問だと、登録した時分と現在では違っているかも知れない。
初めてのレコードは覚えているけどA面の演奏者は忘れてしまった。答えを入力した時にも忘れてしまっていた筈だ。困った。
ショートメッセージ(電話のSMS)による二段階認証が普及する前には、この秘密の質問による認証方法は普通だった。今も多い。
パスワードも秘密の質問も、入力者が「私」であることを確かめるための方法だ。いくつかの秘密の質問に正しく答えられる人間は世界中に私一人である可能性が極めて高いので、「私を特定」するために有効な手段であることは間違いない。
しかし世の中にはわざわざ「私を特定」するのではなく、「私とみなす」ことで用を足るサービスがあり、その一つがかつての銀行における「通帳と印鑑」システムだった。
私だからでなく、その通帳と印鑑を持っている人が何かしらのサービスを受けられる、というシステム。それによって「私でなくとも私の信任を受けた」とみなしてサービスを提供する。うまい考え方だと思う。「ハンコを預ける」というのは「この人に任せます」と同義である、という前提。
とりあえず何にでもハンコを押さなければならないのは愚の骨頂だけれども、印鑑の利便性や有用性も忘れてはならないと思う。
秘密の質問と違って、曖昧だったり忘れてしまったり、といったおそれは印鑑にはないのだから。
今年になって多くの企業・組織で叫ばれた「脱ハンコ」の目的は無駄な手続き・形骸化した習慣の廃止であって、印鑑が不要だ、という議論ではない。
そもそも無駄なことはやめるべきだし、そういう合理化の精神とリモートワークとの直接的な関係はない。現実に、福岡市がこの「脱ハンコ」に取り組み始めたのは昨年の冒頭からで、当時誰もコロナ禍なんて予想していなかった。
いずれあらゆるシステムに生体認証技術が導入されて「私を特定」することが容易な世の中になるのは必定だろう。
それでも印鑑の利便性のすべては包括できないので、新たな印鑑の活用方法が広まるような気がする。「インカン 2.0」とか「ハンコ、声明」として提唱される時代が来るかもしれない。
先の認証画面では、歌手名でなく、レコードのタイトルを入力することにした。うまく認証された!
「ルパン三世」
♪ あっしーもとにー、からみーつくー…。