2006-02-14
日下
数年前、巷にあふれる難解な外来語あるいはカタカナ用語をなんとか分かり易い日本語に置き換えて整理しようという取り組みが中央省庁をはじめ民間の有識団体により始まったというニュースを聴き、喜ばしいことと思った記憶がある。
ここでいう難解用語とは『ユビキタス(指切ったス?)社会』をはじめ『オンブズマン』『ボーダーレス社会』『ジェネリック医薬品』『インフォームド・コンセント』『コンプライアンス』『インキュべーション機構』などであり、何とか内容が想像できそうなものもあるが、いきなり聞かされても、さっぱり意味不明のものもある。
また、『ジェネリック医薬品』や『インフォームド・コンセント』などは、年輩の方には大事な概念なのにうまく伝わらず、また使いこなせない。それよりは『後発(廉価版)医薬品』とか『十分な説明と納得(による治療)』とか言い換えるべきなのではという思いがあった。
総じて伝わらない・使えない言葉を得意になって使うのは自己満足でしかないのではないか、冒頭の試みはその悪弊を打破する良い企画と思ったのである。
しかし、事態はそう簡単ではないようで、次から次へと新しい難解カタカナ用語は当然な顔をして生まれてくる。
このような用語に遭遇したら、やあ何だか面白そうな言葉があるなと原語をそのまま受け容れてから、徐々に我がものとすることが出来ないわけではない。
そもそも外来語を上手に取り込めるのが日本語の言語としての長所でもある。
しかし、この理解できない難解外来語がマスコミや書籍で当然のように使われてくると、そう鷹揚ではいられない。
私などは先ずはしおらしく自分の方が遅れてるのかなと焦ったりするのであるが、そのうち、おかまいなしに難解な用語を使う者への苛立ちや反感に発展するのである。まさに『愚者の逆恨み』状態である。
少し問題は違うが、機能満載のデジタル機器の用語のわかりにくさ等もやはりイヤなものだ。
私は今40代後半の人間であるが、このまま体力・視力・聴力・記憶力・知力(あればの話だが)が衰えていく中で、この種の不快と向き合っていくのかと思うとあまり面白くない。
それに団塊の世代の方には怒られるかもしれないが、これから急速に昂進する高齢化社会を間近にして、このままではお年寄りになじみのない新語の氾濫する暮らしにくい社会になってしまうのではないかと思う。これも冒頭の機運を歓迎するゆえんである。
今後は、文明開化の頃、福沢諭吉が奮闘したごとく外来語を格調高く翻訳するようなことは望めないにしても、まずは外来語の意味をうまくあらわすいい日本語がないかを探り、なければ漢字で造語するくらいの配慮を専門家諸氏には払って欲しいと思うのは私だけだろうか。
ひるがえって、私も安易にカタカナ用語を使ってごまかさないように自戒したい。
そういえば、「団塊の世代」の名付け親である堺屋太一氏はわれわれの世代のことを団塊世代と団塊二世の間にいる「ビトゥイーン」世代と称しているようだが、これも変だと思う。
「堺屋先生あなたもですか」といいたい。
しかも「ビトゥイーン」ってなんだか歯ブラシみたいで、これがまたイヤだ。