2014-05-26
森本
ある接客業の経営者から聞いた話。
接客マナー研修を受けた社員からの報告で、客に対しての確認を求める際の「よろしかったでしょうか?」は美しくないとレクチャーされたとのこと。
たしかに「よろしいですか」や「よろしゅうございますか」に比べると少し耳障りがする。
人づての話ながら、その研修の講師に親近感を抱いた。
今ではあまりに広まりすぎていて聞かされるこちらも慣れっこになってしまった「よろしかったでしょうか」に対して、以前は若干の違和感を持っていた。
同じような対応(コンビニ言葉?)に「あたためますか」がある。
コンビニエンスストアでお弁当を買った時にレジで「あたためますか?」と聞かれて、なぜこんなことを聞くのだろう?
持ち帰って、食べる前に電子レンジで温めるに決っているだろうと思いながらも、素直に「はい、あたためます」と答えると、レジの店員が店のレンジで勝手に温めてしまったのに驚いた、なんて笑い話になった。
「あたためましょうか」「おあたためしましょうか」「こちらであたためた方がよろしいですか」よりも「あたためますか」は簡単な言い方ではあるけれども、そもそも発言の主語と行為の主体がめちゃくちゃになってしまっている。
根っからの理系人間(理屈系人間)である私は、この「あたためますか」という言葉を正当化するには以下の論理が必要だと考えた。
件の研修講師は「お飲み物の方」や「お名前を頂戴いただけますか」や「お待ちいただく形になります」などにもダメ出しをしたとのこと。
信頼にたる講師がダメ出しをした理由は以下の通りだと想像できる。
あんまり細かく言うのも何だかなぁ、という気分になってくる。そこで言葉のことなら国語研究所。
ウェブサイトよくある言葉の質問に、ちゃんと「よろしかったでしょうか」についてもあった。
この回答者の結論としては、「客に確認を求める丁寧表現なので許される」ということか。だが、質問の真意「適切か」との回答にはなっていない。
もっとちゃんとマルなのかダメなのか明言してほしい。
ついでにいうと、国立国語研究所のページで回答する立場にある人が、「それを確かめるために」マクドナルドに尋ねたりしないでほしい(←もちろん私見です/マクドナルドは大好きです)。
別のページ「全然おいしい」の回答には考えさせられた。