2019-06-17
森本
働き方改革についての前回のコラムに「柔軟な働き方を自分で選択」というくだりがありました。
どんなことも「選択」するには、基準や目標や方針が必要です。やみくもに選ぶことを選択とは言いません。
そうした自分なりの選択の指針(基準・目標・方針)を明確にすることで、きっと上手な選択ができるようになるはずです。世の中のすべての人にそうした選択を強要することは誰にもできませんが、少なくとも「選択できない環境を何とかしよう」「選択できる範囲を広げていこう」というのが、働き方改革の要諦であると言えそうです。
「ライスワーク」「ライクワーク」という言葉を知りました。
・ライスワーク:お金のため、ご飯を食べるために働くこと
・ライクワーク:その仕事が好きで働くこと
・ライフワーク:自分の使命だと思って働くこと
自分が就いている仕事がどれに当てはまるか、といった考えをするのではなく、3種類のどれに比重がかかっている仕事なのかと考える、起業者でなくとも、業務や職掌まで分解すると腑に落ちる仕事の捉え方です。
どんなに好きでもお金にならなければ仕事ではないでしょうし、続けている内に好きになる仕事もあるでしょうから、分類というよりも要素に近いです。
ふむふむ、「ライスワーク」と「ライクワーク」についてはそうだよなと思ったのですが、以前から知っている「ライフワーク」ってそもそも何なのだろうと疑問が湧きました。
何となく今までは、ライスワークとライクワークを併せて、そこに自分らしさや充実感を見いだせる仕事を「ライフワーク」と捉えていました。
決して間違った考えとは思いません。そのような説明はどこにでも見受けられます。
だけど、それが自分の使命だなんて、少しおこがましいような、そして傲慢な感じもしてしまいます。いや、自分が思うだけなので傲慢でも構わないのですが…。
「ライス」「ライク」と並列に定義できるような「ライフ」。
私は自分なりに考えて一つの結論を得たのですが、ここには書きません。あまりに自分自身にしか当てはまりそうにないことで、実は、「ライフワーク」とは誰にとっても明確な定義ができない(=人それぞれが自由に定義できてしまう)概念ではないかと思っているからです。
あなた自身の「ライフワーク」の定義を考えてみると面白いかもしれません。「おいおい、それはライスワークだろ」「ライクワークと何が違うの」といったツッコミがされないように定義してみましょう。
働き方改革がその改善を目標とする「ワークライフバランス」は、語感こそ似ていますが「ライフワーク」とは直接何の関係もありません。
でも、働き方改革を「働かせられ方改革」にすることなくその恩恵を十分に受けるには、どこかで自分自身のライフワークを強く意識する必要があるのではないかと思います。