2008-04-16
神戸
この季節、町には新しいスーツをまとった若者や新しい制服に身を包んだ児童、生徒が溢れている。
いずれも目を輝かせたピカピカの一年生である。そんな光景を見て郷愁を覚えるのは自分が年老いたせいであろうか。
「この季節、新しいことへの挑戦意欲が湧くようならその人は青年、郷愁に浸るようであればその人は老人」と言った人がいた。
私が小学校に入学した時、まだ終戦間もない貧乏な時代で服もランドセルも誰かのお下がりで古く粗末なものであったが、母とともにくぐった校門の内に桜が眩しいほどに咲きほこっていたことを鮮明に覚えている。
入学間もない頃、近所のガキ大将の後について登下校を繰り返していたが、そんなある日、ふと出会った身体の不自由な子供を皆でからかったことがあった。
そのことを知った父が、丁度夕食時あったが、箸を静かに置くといつになく厳しい口調で叱った。
何故そんなことをしたのか、何故それを止めなかったのか、その子供がどんなにつらい思いをするかを考えなかったのか、ということであった。
めったに叱ることのない父だっただけに、幼い私には応えた。
そしてその時のことは、今も胸痛む思い出として心にのこっている。
も一つ、心にのこる父の言葉がある。
学業を終えて社会人として旅発つ日、父がボソッと言った。
上司に好かれるよりも掃除のおばさんや給仕のおじさんに好かれる人になれ、と。
そして、幸か不幸か私はその言葉を長いサラリーマン時代を通じて守ったような気がする。
しがない地方公務員であった父はとっくにこの世を去ったが、この季節になるとこの二つの言葉を思い出す。
人生の節目のとき、初めて出会う人の言葉は、その後の人生に大きな影響をもたらすものだ。
特に、心の真っさらな新入生が、どんな上司や先生とめぐり合うかはその人の人生形成に大きな影響を与える。
責任は重大である。
新入生たちは、社会的環境変化の真っ只中にあり心身ともにナイーブ状態にあるにちがいない。周りの大人たちは細心の気配り持って迎えてやらなければならない。
さまざまのこと思い出す桜かな
芭蕉
桜のシーズン、遠い昔に有ったこと、出会った人に思いを馳せるのは古の人も同じだったと見える。