2016-08-15
柿本
ずっと昔、まだネットのない時代の話。 友人の中で最も賢いトシヒコが、ある晩、興奮気味に電話をかけてきた。
「おい柿本、子供の頃の1年が長く感じられ、大人になるとそれがだんだん短くなる。
その理由をお前は分かるか?」
私が「思いつかない」と答えると、彼は(多分)したり顔で説明を始めた。
「たとえば、5 歳の子供にとって1年はその人生の 1/5 だが、50 歳の大人にとっては 1/50 に過ぎない。
人間は時間の長さを過ごした年数から相対的に感じているのではないか?」
私はナルホド!と感心した。言われてみればその通りだ。
トシヒコは、このことをずっと考え続けていたのだろう。
そして、ついに真理に達した!
「このことをいち早く誰かに伝えたい。
しかし、こんな深夜に話に乗ってくれそうなやつ…そうだ!柿本だ。
あいつならどうせ彼女もいないし、俺と同じで夜更かしの常連だ」
というわけで私に電話してきたに違いない(聡明な彼の推測は全て当たっていた…)。
こうして私たちは一つの叡智を発見し共有するという有意義な夜を過ごしたわけだが、これがもし現代ならどうだろう?
疑問を抱いたらまず「ネット検索」するのではないだろうか?
さっそく本件について調べてみた。
検索結果:ジャネーの法則
主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価される。
19世紀のフランスの哲学者、ポール・ジャネーによって発案された。WikiPedia
あああ~、またやっちまった。
「すぐに答えが出てくる」便利過ぎるネットがもたらす一種の「落胆」は、この例に限らない。
「新商品の開発」、「新しいキャッチコピー」、「仕事の効率化」。
私たちは何でもとりあえずネット検索して、多くの場合他の人がとっくの昔にそれを発見・発表している事実を目の当たりにする。
そうしてある人は「ネットって便利だな~♪」と、記事を読んだだけで満足し、またある人は「他の人が見つけたのなら…」と興味を失ってしまうだろう。
どちらも「考え続ける」という行為が抜け落ちている。
まさに思考停止だ。
自分の頭で考え、時間をかけて結論にたどり着く過程で多くの知識や発見を獲得していくのに。
結果として凡庸な結論が出てもいいじゃないか。
寄り道にはきっと意味がある。
私は考え続けて自分で結論を導き出したトシヒコの「再発見」を断然支持する!
まとめると…、
人生において答えに迅速にたどり着くことだけが最善ではない。
「そうではない」。
誰かが見つけていたら興味を失う態度も正しくないと思う。
「そうじゃないっ」。
便利だからとネットに頼りすぎることも「ソージャネー!」。
みなさん、もうお分かりですね?
本件の「ジャネーの法則」にあやかって、私はこれを「ソージャネーの法則」として新たに提言するのでアリマス。