2012-01-31
神戸
コンサルタントという仕事をしていると、仕事先で「先生」と呼ばれることがよくある。
そう呼ばれると、時代劇にでてくる悪徳商人の用心棒みたいであまりいい心地ではない。
自分よりも年長者で、それなりの社会的地位にある人を、さん付けで名前を呼ぶことに気後れした経験は私にもあるが、と言って、先生と呼んでいれば礼にかなうというものでもない。
最初のうちは、せめて名前で呼んでください、といちいち断っていたものだが、そのうち面倒くさくなって、10年経った今ではすっかり受け入れてしまっている。
国会の予算委員会などで、質問をする若い野党議員に対して、質問を受ける側の大臣が「先生のご意見はまことにもっともで…」などと持ち上げる場面をよく見かけるが、まことに噴飯もので「先生」の権威をおとしめているようで仕方がない。
「先生とよばれるほどの馬鹿でなし」という古い川柳を思い出す。
誰がよんだか知らないがまことに妙を得ているように思える。
そもそも「先生」とは何か、その定義を広辞苑で引いてみると、
1. 先に生まれた人 2. 学問の優れた人 3. 学校の教師 4. 医師・弁護士など指導的立場にある人への敬称 5. 他人を、親しみまたはからかって呼ぶ称、とある。
いま自分が「先生」と呼ばれているのは、上のどれに該当するのか、単に 1 なのか、まさか 5 ではあるまいといろいろと考えてしまう。
コンサルタントという仕事は、医師や弁護士のように公的資格が必要なわけではない。
○○コンサルタントと自称すればよいだけのことで、そのコンサルタント内容に金を払う価値があると顧客が認めれば、商売としてなりたつ。
多くの場合、サラリーマンのように組織に束縛されることなくマイペースで仕事ができるという利点はあるが、会社帰りに赤提灯一杯やるような仲間にはめぐまれない。
それだけに、情報源が少なく世情にうとくなるきらいがある。
仕事が潤沢にあり「先生」と呼ばれているうちに、ひとりよがりに陥ったり尊大な人間になり果てたりする危険もある。
常に新しい顧客ニーズに気をくばると同時に、自分が寄って立つ学問の原点に立ち返ることに努めなければならない。
本当の「先生」であるために、常に革新と原点回帰が求められる。