スタコラ:2006-03-19

言葉の変遷

2006-03-19
神戸

憶良らは今はまからむ子泣くらむそを負う母も吾を待つらむぞ

これは、万葉歌人山上憶良の歌です。
憶良が筑前の守として大宰府に赴任しているときに歌ったもので、宴会を中途で退席するときにおどけて歌ったものと言われていますが、彼の人となりをほうふつとさせる作品であると思います。
四千五百余首からなる万葉集歌の中でも異彩を放つ一首で、千三百年の時空を超えて現代人にも広く愛されております。
しかし、この愛すべき一首も原文をたどってみると、『憶良等者 今者將罷 子將哭 其被母毛 吾乎將待曾』となり、暗号文に出くわしたような気分になります。
当時の人々が、中国から伝わった漢字を音訓折衷で当てはめてながら、文章を作ることにいかに苦労したかが痛々しいほどに感じられます。

この時期の日本には多くの言葉や漢字が次々と渡来し、人々を悩ませたであろうことは想像に難くありません。
その中で、我々の先祖たちは多くの記録を書き残そうと努力しました。
そして現に、万葉集というとてつもない文化遺産が残っているわけであります。
老若男女貴賎を問わず多くの人々の歌を集めたこの一大歌集は、日本の誇る文学作品でありますが、歌った人も、これを編纂した人も、さらに後年これを解読した人も一字一句に心をこめてその作業を行ったことでありましょう。

さて、本稿の目的は万葉集のことを論ずることではありません。
言葉のことです。
言葉は、情報伝達や意思疎通の大事な道具であるとともに、人を喜ばせたり、悲しませたり、怒らせたりする魔力を持っています。
それだけに、間違って使えば一生をふいにすることにもなりかねません。従って「沈黙は金」「言わぬが花」などの格言も在るわけです。

近年、言葉(国語)の乱れが盛んに取りざたされるようになりました。
たしかに、私も新刊本を読むたびに、カタカナ文字(英語)や英字略語(PSB、PSEなど)に出くわして立ち往生することがあります。
なかでも知識人が用いるカタカナ文字には憤りさえ覚えますが、英語の苦手な私のひがみでしょうか。
カタカナ文字を使うには、適切な日本語がない、英語の方が浸透していて理解されやすい、英語の方が語呂がよい、英語の方が理知的に見える、などの理由があるのだと思われますが、もっと読む人の立場になって文章を作ってほしいと思います。
さらに大人たちを悩ませるものに、若者の造語、新語があります。
「キモイ」「ウザイ」などと言っているガングロ娘に出会って仰天したお年寄りの話を伺ったこともあります。

しかし元来、言葉というものは常に変化していくものであります。
別々に変化すれば、二千年も経てば日本語と朝鮮語くらいの違いができるという説があるほどです。
ましてインターネットや携帯電話で瞬時に情報が世界を駆け巡る現代にあっては、言葉の変化速度はもっと速いのではないでしょうか。
現代の言葉の乱れを言葉の変化と受けとめて、変化に順応する柔軟性を養う努力も必要なのです。

押し寄せるカタカナ文字や若者が作り出す新造語について行くことは、私のような年配者にとって辛いことではありますが、万葉時代の人々の努力に比べると如何ほどのこともないように思えます。

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