スタコラ:2006-02-03

自分の柱としての「和」

2006-02-03
新開

近頃、「○○偽装」とか「虚偽」という言葉をよく耳にするようになりましたね。
虚偽とは「真実ではないと知りながら真実であるかのようにみせること」、
偽装とは「他人の目をごまかすための装いや行動。」(大辞林 第二版 三省堂)
という意味のようです。
では、「ごまかす」とは?
「自分にとって不利益な実態が表れないようにとりつくろう。人目を欺いて不正を行う。相手の問いかけにまじめに応ぜず、自分の弱点が表れないようにする。」(大辞林 第二版 三省堂)などの意味で、このくらい具体的に言ってもらえるとわかりやすいですよね。

こんな「ごまかし事件」が起こる原因の1つに、個人プレーを重視する社会の主義主張の方向があるのかもしれないなと思います。
それを簡単に「個人主義」などというと、個人主義が何たるかも知らないくせにと、怒られてしまいそうですが。
個人主義とは、
「個々の人格を至上のものとして個人の良心と自由による思想・行為を重視し、そこに義務と責任の発現を考える立場。」、
「その人の属している組織全体・社会全体のことを顧慮せずに、個人の考えや利益を貫く自分勝手な態度。」(大辞林 第二版 三省堂)
との二つが辞書にはあることをお知らせしておきます。
この、後者の意味の「個人主義」でも、声高らかに自分の意見を表明すれば、ごまかされてしまう多くの人がいるのが現在の状況なのかもしれません。

なにか、ここには「柱」というか指針のようなものが見えなくて、不安になっている人たちの状態が現れているような気がするのです。
例えば、「和をもって尊しとなす」という指針があったとします。
何かを判断するときに、自分の柱として「和」という考え方があればどうでしょうか。

出張で新幹線に約2時間乗ることになりました。
「2時間あるから、この本を読みながら車内で買ったホットコーヒーを飲んで、あ~ゆったりした時間が過ごせるぞ。」と思って乗り込んだ車内には・・・。
2時間の楽しみを心に描き乗り込んだ車内には、団体旅行の皆さんがみかんの香りとともに盛り上がっていました。
旅行客を恨みながらのイライラの2時間になってしまうこともあるでしょう。
しかし、心の柱が「あんたの柱は確か、「和」だったよね。」ということを知らせてくれると、自分の態度は別の選択肢もあることに気付くかもしれません。
「楽しい人たちと旅行気分を一緒に味わおう」と思うと、穏やかな気分で過ごせるかもしれません。そんな気分でいると、みかんのお裾分けに与ったりして・・・。

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