スタコラ:2012-12-17

遠い昔の思い出

2012-12-17
神戸

六十数年も前、私が小学二年のころ、八歳年下の弟が誕生した。 産後の肥立ちが悪かったのか、乳がでず母は苦労した。 その頃はまだ戦後の物不足時代でミルクなどはとても手には入らなかった。 そんな折、家から6キロほど離れた農家で乳牛を飼って居り、朝早く行けばしぼりたての牛乳を分けてくれるという。その牛乳を取りに行くのが私の日課となった。

冬12月、6時前に家を出ると、まだ満天に星が輝いている。 街灯もない田舎道は暗く、時おり森の中で羽ばたく鳥にも驚いた。 怖さと寒さをこらえるために大きな声で歌を歌いながら通った。 特に小学校横に鬱蒼と茂る森があって、そこを通る時が一番怖かった。 森の手前に一軒の家があり戦後移ってきた家族が住んでいた。 威厳のある父と美人の母と二十歳前後の美しい娘さんの三人暮らしで、都会的で垢抜けた雰囲気の一家であった。

ある朝その家の前を通り過ぎる時、その家の主人と思われる人が庭の木の下にひっそりと佇んでこちらを見ている。 薄暗がりの中でその人の表情はわからず、何か変だと思いながらも軽く挨拶をして逃げるように通り過ぎた。 そして森の中を一目散に駆けた。

農家に着くと、持っていった五合瓶にお金と引き換えに三合ほどの牛乳を入れてもらい、それを大事に布の袋に入れると、もと来た6キロの道を引き返す。 その時刻になると、ようやく空は白み始め、小鳥の鳴き声も聞けるようになる。 それでも森の中は暗く不気味だった。 ようやく森を抜けて先ほどの家に差し掛かったとき、先ほどの男の人が先ほどと同じ場所に同じ姿で立っていた。 そしてその傍には二人の男がそこの娘さんに何かを聞いていた。 娘さんは毎朝この時刻には、道の掃き掃除をしていて、通りがかりの私に「おはよう、毎日えらいわねー」と声をかけてくれて、私にとって何よりもの慰めだった。 しかし、この日は違っていた。青白く厳しい顔であった。

家に帰り、洗面、朝食をすませて学校に行く頃は、もう日は高く空は青くなっている。 学校の門をくぐろうとすると先ほどの一軒家の前に大勢の人が集まっている。 何事かと近付き、そこにいた友達に聞くと
「首吊りたい」という。
「首吊りて何や」
私はまだ首吊りということを知らなかった。

友達は、首吊りについて得意げに説明をし、私は理解した。 そして、今朝、暗がりの中に立っていた人は庭木からぶら下がって死んでいたのか、私は腰が抜けるほどに驚いた。 あのとき、娘さんと話をしていた二人の男が警察の人であることも解った。
死体は取り除かれていたが、取り巻く野次馬はいっこうに離れようとしなかった。 私は青い顔をして警察官と話をしていた娘さんのことを思うと気の毒になり、ひとりそこを離れた。

その後、美しい母と娘は、何処へともなく引越して行き、私は恐怖をこらえて牛乳取りのために同じ道を通い続けた。 半年後、弟は離乳し、私の早朝のお使いも不要になったが、事件のあった家は空き家のままであった。 自殺した人はもと軍人で多くの部下を死なせたことを苦にしたためだろうと、人々は噂したが、もうそのことさえ口にすることはなくなっていたが、私は、毎朝やさしく声をかけてくれた美しい娘さんのことが長い間気になっていた。
毎年、この時節になるとこの思い出がよみがえる。

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