2021-01-04
大隈信夫
新年おめでとうございます。
2021年、令和3年を迎えた。
昨年は、新年早々から“新型コロナ感染症”の流行によって、子どもたちの卒業式も入学式もない。登校すらできない事態や手指の消毒やマスク着用、ソーシャルディスタンスやアクリル板。仕事の仕方も「在宅ワーク」や「オンライン」が普及し、“新型コロナ感染症”で国民生活は一変した。
昨年の年頭には、「2」並びの年、「2つの針路を巡る大きな選択が迫られる年となるだろうとの予感」と述べて迎えた。
しかし、「必ず総選挙・・」の予想は外れたが、“我が世の春”を誇り「憲政史上最長」を豪語した“アベ一強”も“サクラ”のほころびで、あっけなく崩壊、“後継スガ”も“学術会議任命拒否”や“コロナ対応無策”が露呈し、早々に行き詰まりを見せている。
2020年「庚子(かのえ・ね)」。「変化が生まれる状態」「新たな生命がきざし始める状態」とする古来からの 十干十二支の“占い”は生きているようだ。
さて、2021年の干支は「辛丑(かのとうし)」。どんな年になるのだろうか。
「辛」は「草木が枯れ、新しくなろうとしている状態」、「丑」は「種から芽が出ようとする状態」という。
今、国民の命と暮らしは、「経済再生」を最優先とするアベ・スガ政権のもとで、いまだ“コロナ新型感染症”の終息は見通せず、重大な危険にさらされている。
こうした状況に「なぜ国民の命と暮らしが大事にされないのか」、「本当に経済の再生優先でいいのか」と、後手後手の無策への批判が広がっている。
「“自助・共助・公助”の順番が違う」、「国の予算はもともと国民のもの、政権の都合で運用するのは国民主権をないがしろにするもの」との批判もある。
2021年は、こうした、新自由主義と国民主権の本質的な対立がいっそうあぶり出され、“新しい芽吹き”が感じられる年になるだろうと思う。
延期されたオリンピックは「開催されるのか」、商業化され続けてきたオリンピックは、今後どんなオリンピックになるのか。
新型コロナ感染症への対応では、世界的にはワクチンの開発が伝えられ、治療方法と治療薬の研究開発が続けられ、一定の成果は期待できるだろう。
国の動向を左右する総選挙も実施され、新たな芽吹きのために選択を誤らないようにしたい。