2014-09-29
神戸
「ふるさとは遠きにありて思うもの」という詩の文句を、私どもは、長らく帰省していないことの言い訳として使うことがよくある。
彼岸の中日を自宅で過ごしながら、ふとこの詩を思い出して改めて詩集をひも解いてみた。
これは室生犀星の詩でつぎのように続く。
ふるさとは遠きにありて思うもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさと思い涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこに帰らばや
遠きみやこに帰らばや小景異情 その二(抒情小曲集)
私は、これまで郷愁を歌ったものと解釈してこの詩をこよなく愛してきたが、この度この解釈が誤っていたことを知り愕然としている。
室生犀星は、私生児として生まれ、生まれてすぐ養子に出された。
養い親は愛情薄く、幼少時代は幸せな境遇ではなかったと言われている。
従って故郷(金沢)に対しては恨みこそあれ好ましい思い出はなかったであろう。
それでも、都会(東京)の喧騒の中にあって、夕暮れになると故郷をしのび帰りたいという思いにかられる作者の心情を歌ったものと解釈していた。
ところが、この詩は金に困った作者が金策のために故郷に帰ったがうまくゆかず東京へ戻ろうとしていた時に作られたという解説をみつけて驚いた。
この詩が東京にあって作られたか、金沢にあって作られたかによって詩の意味合いは大きく異なる。
いろいろ調べたがどうやら後者であるらしい。
そうなると、本気で故郷に愛想をつかした詩ということになり私にとっては幻滅だ。
しかし、私の解釈は無理なのだろうか、「遠きみやこに帰らばや」を「遠きみやこ(金沢)に帰りたい」と解釈することはできないのだろうか。
都会にあって、恨み多い故郷ではあるが、それでも夕暮れになると懐かしく思い出されるという矛盾に満ちた複雑な心境を歌った詩であるなら、これからも私の愛読詩として永く心に残るのだが…。
私はこの数年故郷へ帰っていない。 私の故郷は緑なす山と清流下る川と青い海に恵まれた静かないなか町であるが、もう親しい知人も少なくなり帰る意味合いはなくなった。 ただ、置き去りになっている先祖の墓だけが気がかりだ。 長男である私にとって、将来この墓をどう守っていけばいいのか、実に頭の痛い問題だ。