2012-09-03
神戸
今から 2300~2400 年前、中国に戦国時代と呼ばれる時代があった。 各地に群雄が割拠し覇権を争った。 この時代、多数の遊説家(外交の策士)が現れ、国王たちに様々な策略を説いて回った。 蘇秦 の合従の策、 張儀 の連衡の策、 范雎(はんしょ) の遠交近攻の策など興味深いものがあり、このことは 司馬遷 の史記列伝の中に実に生き生きと描かれている。
北方領土、尖閣諸島、竹島と領土をめぐるいざこざが毎日ように新聞紙上を賑わしているのを見て、ふと史記のことを思い出して書棚から取り出してみた。 何十年も書棚に眠っていたために埃にまみれてはいたが、中身はいまだに新しく面白く読んだ。 張儀 は盗人の嫌疑をかけられて瀕死の重傷を負うような罰を受けるという目にあったが、心配する妻に向かって大きく口を開け、「俺の舌はあるか」と聞いた。 妻がうなずくと、「この舌あるかぎり俺は大丈夫だ」と遊説家の気概を示したというエピソードなども記されていておもしろい。 遊説家の中でも范雎は遠交近攻の策を携えて秦に行き、「遠くと交わりて近くを攻めるにはしかず」と説いて秦の昭王に用いられた。 その後この策は秦の基本政策となって、ついには天下を統一するにいたった。 この時代、武力の優劣よりも外交の巧拙が国の命運を握っていたことがよく分かる。
世界各地で国家間の紛争は耐えないが、特に昨今、日本周辺のいざこざが目立ってきた。 史記に書かれている時代と現在では環境が大きく異なるが、外交の大事さに変わりはない。 特に、トップの外交姿勢、信念が何よりも大事である。 トップの一言が、国の品格、信用、ひいては国民性をおとしめることになりかねない。 自分の人気取りや延命のために大衆受けするような言動は国家百年の計を誤らせることになる。 事実、そういう例が国の内外でいくつかあった。 トップは偏狭なナショナリズムや目先の国益に捕らわれることのない確固たる信念が必要と思う。 「国に聖人(優れた人材)あるは、敵国の憂いなり」という名言が史記の中にある。 近いうちに総選挙が行われ、新たな国のリーダーが選ばれることになるだろうが、外国も一目おくような優れた人材が日本のリーダーとして登場してもらいたい。
日本周辺の領土をめぐる紛争は出口が見えない。 お互いの国民感情を逆なでするような事件は今後も続くことだろうが、あまり感情的になるのはいかがなものかと思う。 ナショナリズムも国益も超越した視点から歴史のひとコマとして眺めているとへたな小説よりもおもしろい。