スタコラ:2006-01-27

もう一つの2007年問題

2006-01-27
神戸

団塊の世代が大量に職場を離れる時期が目前に迫っており、2007年問題として取上げられています。
この問題の視点は、技術伝承の断絶にあることは勿論ですが、働く人の精神構造の断絶も忘れてはならない視点であるように思います。
日本企業に連綿として流れていた愛社精神や忠誠心が、団塊の世代の離職とともに姿を消してしまうのではないかと懸念されるのです。

団塊の世代といわれる人々は、1970年代の日本の高度成長を支えた人々であり、彼らの献身的な働きによって企業も国も成長を続けました。
彼らはときに家族を犠牲にしてまで働き、職場のモラールも旺盛なものがありました。
その頃、日本経済の七不思議に年功序列と終身雇用をあげた外国の経済学者がおりましたが、たしかに年功序列、終身雇用という日本特有の経営の下で、社員は自分の会社を愛し、会社の発展のために日夜努力を重ねてきたのです。
労働条件は決して恵まれてはいませんでしたが、職場には不思議な安心感が漂っていました。
人々は惜しみなく情報を交換し、助け合い、強調の精神に満ちていました。
そして、どこの職場にも、出世には縁遠いが周りに頼りにされる潤滑油みたいな人物がいたものです。
テレビドラマはぐれ刑事純情派で藤田まこと演じる安浦刑事みたいな人です。
行き詰まった若手社員にそれとなく優しい声をかけ、貴重なアドバイスをくれたものです。

しかし、1990年代に訪れた不況のために、日本企業はそれまでのよき習慣であった年功序列や終身雇用を見直すことを余儀なくされることになりました。
リストラの名のもとに多数の首切りや配置転換が行われ、その結果、企業内の信頼関係は失われ人間関係は希薄になってきました。
さらには、アメリカ型の成果主義を推奨する経営者や経済評論家が現れるにいたり、その傾向はますます強まりつつあります。
成果主義でなければ国際競争に負けるという経営者の危機意識がありますが、公平な処遇として成果主義を求める若者が増えているという現状もあります。
しかし、はたして成果主義は日本人に適した制度でしょうか。
アメリカ人は平原に牛を追う狩猟民族でありますが、日本人は根っからの農耕民族であり、その中でも稲作文化圏に属しています。稲作は共同で水を引き共同で植えるという人々の協力で成り立っていました。
従って、「和をもって尊しとなす」という理念が生まれたわけです。
弥生の昔より、日本人は個人プレーよりもチームプレーを重視する民族として育ってきました。

今日本は、グローバル化の名のもとに効率優先の社会に変わりつつあり、人間尊重の風潮が薄れているように思えて仕方ありません。
成果を求め成果によって個人を評価するとき、安浦刑事のような人物の評価はどうなるのでしょうか。
成果至上主義の職場に彼の居場所はあるのでしょうか。
日本の企業から団塊の世代が姿を消し職場の世代交代がなされたとき、愛社精神や忠誠心までが消滅し、日本企業の底力が失われるように思えて仕方ありません。
職場の和より個人の成果だけを追い求める組織には、高いモラールは育ちにくく、永続的な成長は期待できません。

2007年問題とそれに続く少子化問題を思うとき、人間尊重に根ざした新しい企業経営の理念が求められているように思えます。

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