2015-07-06
新開
このスタコラ、スタッフの森本さんから担当が回ってきたことのお知らせメールが届く。 このお知らせがなければ、なかなか続かないことだと思う。 お知らせをいただいても、期限に遅れてしまうことも多々ある…。 今回は、期限の案内と共に、7月6日は「サラダ記念日」「公認会計士の日」「ゼロ戦の日」「ピアノの日」ということのお知らせもいただいた。
このサラダ記念日、歌人の俵万智さんが出した歌集サラダ記念日(1987年・河出書房新社)の 「この味がいいねと君が言ったから 七月六日はサラダ記念日」という短歌からブームになったものである。
いろいろな出来事を忘れていくが、記念日と名前が付けば案外忘れにくいものかもしれない。 近頃、記念日らしきものがないからか、実家の母の口癖は「すぐに忘れる。また、忘れた」である。 そう言いながらも、友人達とあちらこちらに出かけて楽しくやっているようだ。
このつながりで?という感じではあるが、今回のスタコラでは驚きの介護民俗学(六車由美 著)と言う本を紹介しようと思う。
大学で准教授として民俗学を数年教えた後、ヘルパーへの転職した1970年生まれの著者の書いたノンフィクションである。 介護現場でのヘルパーとしての関わりと、民俗学者としての驚きをまとめている。
認知症の男性が話をするようになるきっかけ・近代の日本を背負ってきた男性の仕事について等を聞き書きした様子が書かれている。
また、介護者としての忙しさの中で、話を聞けないという葛藤の記述もある。
高齢者の特質を示した、同じ問いをくり返すこと
や耳が遠くなる
という状況への対応も含みながら、介護者の視点を交えた内容になっている。
『「回想法ではない」と言わなければいけない訳』という項目では、回想法と聞き書きの違いが述べられている。 「メモを取ってはいけない?・テーマから逸れてはいけない?・高齢者は評価される対象なのか?」という問いの中で、利用者と介護者の関係を民俗学者として「教えを受ける」という関係性がどのような意味を持つか示されている。 そこでは、回想法が技法になっているのではないかという問題提起と、本来の回想法の根幹を流れる、「回想法とは、高齢者の過去の人生の歴史に焦点をあて、過去、現在、未来へと連なるライフヒストリーを傾聴することを通じ、その心を支えることを目的とする技法である」という考え方の重要性を示している。
ターミナルケアとの関連性の中で、「介護の現場での聞き書きは、心身機能が低下し常に死を身近に感じている利用者にとって、一時的ではあるが、弱っていく自分を忘れられて職員との関係が逆転する、そんな関係の場なのであると。」述べられている。 “される側”と“してあげる側”が一時的にせよ逆転する。「そうした介護者と被介護者との関係のダイナミズムはターミナル期を迎えた高齢者の生活をより豊かにするのではないか。そう思えるのである。」としている。
本のタイトルに「驚き」とあるように、驚きが利用者と対等に向き合うための始まりであり、驚き続けられたのは民族研究者としての矜持と知的好奇心ということである。 現場の業務と知的好奇心に素直になることのバランスは難しいが、知りたい欲求とわかった時の驚きが利用者と対等に、そして尊敬を持って向き合う始まりになる。
『おわりに』の項目で、「介護の質は介護職員の技量より、職員と利用者の関係性によるように思う」とまとめられている。