2016-02-01
森本
琴奨菊の優勝は嬉しいニュースでした。
11日目からの5日間、普段は観ないテレビの前にかじりついていました。
日本出身力士として10年ぶりというのもそうですし、なんといっても柳川出身というのがいい。
また、唯一今場所で琴奨菊に土をつけたのが、小学生のころからの知り合いで、角界でも仲の良い豊ノ島。
琴奨菊が優勝を決めた支度部屋に一番にかけつけたのも、豊ノ島。
豊ノ島戦で負けていなければ千秋楽までハラハラドキドキすることはなかった筈で、こうした物語も今回の優勝を彩りました。
優勝の翌日、届いたメールマガジンの一つに「大相撲とグローバル化」と題されたコラムがありました。
経済ニュースが中心の新聞が発行しているこのメルマガのコラムの要旨は、以下のような感じです。
過去にいくつかの問題を抱え、一時期、凋落していた相撲界だが、関係者の努力によって人気が復活した。
日本人力士対外国人力士という構図が人気の要員の一つ。
異文化を受け入れるためには軋轢もあるだろうが、早くからグローバル化を受け入れることで成功した。
企業再生のためには外資を受け入れることも検討すべきではないか。
当り障りのないもっともなご意見です。
私が気になったのが「グローバル化」という言葉の使い方です。
外国人を受け入れること、異文化を受容することを「グローバル化(を受け入れる)」と呼んでいます。
大きな違和感を覚えたので、一般に「グローバル化」とはどのような意味で使われているのか検索してみました。
他国の情勢を無視できない流れ
、産業の地球規模化
、国家間の障壁が少なくなること
等が「グローバル化」の意味でした。
上のコラムでの使い方はごく自然です。
逆に言えば、それへ違和感を持った私は、今までずっと「グローバル化」という言葉を間違って認識していたのでした。
今まで、私の中で「グローバル化(グローバリゼーション)」は次のような意味でした。
決して間違ってたとは認めたくはないのですが、私の定義からすると、外国人力士を受け入れることは「グローバル化」とは正反対の「ローカリゼーション」なわけです。
横綱が総合格闘技のリングに上がることこそを「グローバル化」と呼びたいわけです。
この微妙な感じ、わかってもらえそうにないなぁと思います。
仕事上で30年以上も前から「グローバル」という言葉を使っている職業(プログラマー)なので、少し、こだわりが強いのかもしれません。
ちなみに、新人プログラマーが最初に教わることの一つに「グローバルはできるだけ利用するな」という鉄則が有ります。
この場合の「グローバル」とは、とても便利で手軽に使えるサービスだけに、使いすぎる(=それに頼り過ぎる)ことで多くの予測できない危険に合う可能性が著しく高くなる、という意味です。
小学生の頃に弟とのテレビのチャンネル争いに負けて、祖父の部屋へテレビを観ようといくと、夕方はいつも大相撲中継でした。
仕方なく観ているうちに、相撲にも興味を覚えました。
本日、2月1日はテレビ放送の日。
1953年の今日、NHKの放送が始まったそうです。