2017-10-30
柿本
日本人のたばこ離れが進んでいる。
東京オリンピックの頃には条例ができて、いよいよ公共の場で喫煙するのが難しくなるだろう。
なんでも、副流煙の中に有害性物質が多く含まれていて健康被害は吸ってる本人より周りの人に影響が大きいという。
この意味でもたばこは百害あって一利なしの筆頭であり、公共の場での禁煙に賛成だ。
公の場所から締め出された喫煙者は、じつは自分の家でも肩身が狭い。
煙と臭いが家族に嫌われるからだ。
こうして彼らはベランダでこっそりたばこを吸う「ホタル族」となる。
しかし、そこは狭い日本の住宅事情。
今度は隣の住人から「洗濯物に臭いがつく」とクレームが入る。
一軒家なら問題なかろう。
では、たばこのために家を建てろというのか!?
そんな金があるのなら、私はもっとたばこを吸いたい(中毒です)。
そんな悲しきマイナリティーに優しく手を差し伸べているのが、コンビニの喫煙コーナーだ。
円筒を斜めにすぱっと切った形の灰皿。
あれがあるところと、無いところがある。
その決定権はきっと店主にあるのだろう。
なるほど、タバコを販売しているコンビニが灰皿を置くのは売上的に合理的な発想だ。
いまだに禁煙できない、意志の弱い、あらゆる場所で疎まれる人々にとって、あの「円筒すぱっ」は心のオアシスだ。
ただしそれは確実に身体を蝕んでいく「毒入り」のオアシスだが。
とにもかくにもオアシスだ。ありがとう、店主!
そんな(毒入り)オアシスの一つだったうちの近くのコンビニが、先日、灰皿の設置をやめた。
しかし、悲しきコンビニたばこ族は、灰皿がなくても、そのコンビニの前で喫煙することをやめなかった。
喫煙できる数少ない場所としてカラダが記憶していたからだ(中毒です)。
コンビニが灰皿をなくしたのは理解できる。
健康志向だし、時代にあっている。
しかし、そこの店主は、灰皿撤去の宗旨替えだけでなく、店の前でたばこを吸う人々に一枚の張り紙で高らかに宣戦布告した。
「ここでタバコを吸わないでください。迷惑しています」
お、おまえ!
この前までオアシスだと思ってちょくちょく来てたのになんだその変わりようは!
ぷるぷるぷる…。ふうっ。
震える怒りを一服のたばこで抑え、なぜ店主がこうも転向したのか考えてみた。
「…もしかすると、店主自らが『禁煙』に成功したのかも知れない…」
そう、元喫煙者は、往々にして現喫煙者に厳しいのだ。
「まだ、タバコなんて吸ってるの?バカバカしい」
聞こえる…。人間として1ランク上に進んだ店主のあざ笑う声が上の方から聞こえる。
わかっては…いるのですよ。
店主、禁煙おめでとう。