2007-11-14
神戸
秋は、読書の季節でもある。
秋の夜長を鳴きとおす虫の音を聞いていると、それまでなおざりにしていた書物を手にしたくなる衝動にかられる。夏の間行動的で外に向いていた気持ちが、冬を前にして多少なりとも内向きに変わるためであろう。
書店に行くと、陳列された本のあまりの多さに圧倒されるが、その中から読みたい本を探すことも楽しみの一つである。
また、図書館や友人から借りて読んだ本が気に入って、あらためて買い求めることもある。
しかし、散々迷ったあげく買い求めた本がくだらなかった時ほど腹立たしいことはない。
読書家と自負出来るほどでもないが、それでもこれまでに読んだ本は数えきれない。
しかし、その中で愛読書といえるものは少ない。
かつて、高校時代の教師が、
「一度や二度読んで気に入ったという程度ではとても愛読書とはいえない。
手元においてぼろぼろになるくらい繰り返し読んだものでなければ愛読書とはいえない」
と言ったことがあるが、その尺度で測ると私に真の愛読書があるか疑わしい。
これまた昔の話、積読という読書の方法があると言った人がいた。読みもしないのに本を買ってばかりいる人間をからかって言った言葉であるが、私は積読も一つの読書スタイルであると思っている。
気に入った本を本棚に並べてその背表紙を眺めながら、そのストーリーを思い返すことは私にとって楽しみの一つである。
昨今、書籍の電子化が進み読書の方法や本棚の形が変わりつつある。
文庫本程度の大きさの電子機器に本棚一つ分の本が収納され、手軽に持ち運んでどこでも読むことが可能になった。
しかし、それでは、大事な箇所に傍線を引いたりしおりを挟んだりすることはできない。
私の場合、ある作家が気に入るとその人の作品ばかりを読みあさる傾向がある。
例えば井上靖の作品が気に入るとそればかりを読みあさる、司馬遼太郎しかり、藤沢周平しかりである。
もっとバランスよく読んだ方が情操の育成にはよいのだろうが、どうも直らない。
その中で司馬遼太郎の坂の上の雲が、NHKでドラマ化されると聞く。
この作品は、過去に三度読み返したほど、私にとっての愛読書である。
作者はこの作品が、国威高揚に利用されることをきらって、ドラマ化することを禁じることを遺言したといわれている。
しかし、NHKが特に奥様の許しを得てドラマかにこぎつけたものであろう。
楽しみである。
年金の、テロ特措法の、株の暴落のと、世の中は騒がしい。
しかし、世情の騒がしさをよそに、秋の夜長を優れた文学作品とともに過ごすのは無上の喜びである。