2017-08-07
柿本
僕は小学4年生のときに「妥協」という言葉を覚えた。今回はそのお話。
組替えが終わって4年生になったとき、クラスのみんなはドンヨリしていた。学年一番のいじめっ子「S」がいたからだ。
Sの「悪さ」は有名で、素行の悪い兄といっしょになって殴る・蹴る。
新学期が始まってひと月もしないうちに、4年3組はSに恐怖支配されていた。
Sは、授業が終わって先生が教室を出た直後から命令を始める。
支配の対象は男子だけではない。女子も含めてクラス全員に自分の好きな遊びを強要するのだ。
まず、当時流行していた歌謡曲を歌わせる。サビの部分を卑猥なコトバに変えた「替え歌」だ。いま思えば大したことではない。しかし、当時の少年たちにとってそれは苦痛だった。
僕にはイタミ君という親友がいた。
4年生ではじめて同じクラスになった正義感あふれる少年。
夏休み、いっしょに水泳教室に通った。「お楽しみ会」のプレゼント交換でイタミ君からもらった掛布のサイン入り色紙はいまでも大切に持っている。
ふたりでSがクラスにとっていかに害悪かを語り合ったものだ。本人のいないところで陰口をいうのもあまり自慢できるものではないが…。
Sが命令を始めた。今度は騎馬戦だ。
Sは「がたいのいい」イタミ君を自分の隊のメイン騎馬にし、僕のようにチビのやせっぽを他の隊の騎馬に指名する。自分が勝つためだ。なんて卑劣なんだ!そしてSはもし負けると怒り、殴りだす。なんて理不尽なんだ!
かくして戦闘は始まった。Sと僕らの騎手(負ける運命)が上で戦っている間、僕とイタミ君は体をぶつける。
「Sは負けると怒りだす」そんな理不尽に負けたくない!
僕は頑張った。
そのときである。イタミ君が戦闘中にもかかわらず僕にささやいた。
「柿本君、ここは妥協せんば!(しないと)妥協!妥協!」
僕の隊は崩れ落ちた。
「妥協」……利害がぶつかって物事が進展しないとき、双方が少しずつ折れて一つの取り決めを導きだすこと
騎馬戦の例では、戦闘後の殴る・蹴るを回避するため、主にこちらが折れたことになる。
僕は負けを甘んじて受け入れたのだ。
…だから、僕の「妥協」はいまでも少し「甘受」寄りだ。無意味な痛さは回避できた。結果はまあよし、としよう。
これを「イタミの妥協」と呼ぶことにした。
正義がいつも勝つとは限らない。イタミ君は実利を選んだのだ。
こうして、鮮烈な思い出とともに僕は一つの言葉を覚えた。
Sが残した唯一の功績である。