2015-07-20
大隈信夫
花あわれ せめてあと二旬 ついの開花を ゆるし給え
この歌は、福岡のみなさんにはよく知られている。
今から31年前、道路拡幅のために伐採される運命にあった樹齢50年の8本の桜を伐採から守ったきっかけになった歌である。
当初9本であった桜のうち1本が伐採され、その直後にその切り株を見た一人の篤志家が、この短歌が桜の樹に括りつけられたことから、この物語は始まった。
その後、地域のかたの桜を憐れむ歌や思い
が次々と寄せられ、西日本新聞(地域最大の読者を持つ新聞)の記事にもなり、桜の樹は伐採をまぬかれ、今はあらたに桜が植樹され「桧原桜公園」として整備されている。
この桧原桜にまつわる物語として花かげの物語という本が発行され、3刷を数えている。
内容は、前述の短歌をきっかけにして、当時の市長や福博の経済界で活躍さているみなさん、また、作曲家でエッセスト團伊玖磨さんとのご縁、地元の新聞記者、福岡市の担当者や市井の多くの方々の思いが、重なり、響き合いどう紡ぎだされたのか、わくわくして読み進めた。
今回は、桜の時期からちょっとずれた話となったが、実は、この本の著者で最初の短歌を桜に括りつけた土井善胤さんは、絵画サークル「チャーチル会博多」の大先輩の日曜画家
で、親しくさせてもらっている方だった。
土居さんは、毎年、チャーチル会博多絵画展には、その人柄を彷彿とさせるほのぼの
とした作品を出展されている。
花かげの物語のなかで語られる市長さんや團さんとのエピソードだけでなく、職場の同僚やご家族の話、ご友人からの祝福、市民のみなさんからの反応などの記述に、土井善胤さんが描かれる油絵に通じる人柄がにじみ出ていて、その来し方にも改めて感銘を受けた。
土井善胤さんは、私が勝手に送りつけている「通信」へも、時折り、暖かいコメントをいただく。感謝です。