スタコラ:2026-08-31

AI かどうか知らんけど

2026-08-31
森本

「AI で作った音楽に感動して当然」と、私は思っている。
私は AI 推進派だけど、そんなこととは無関係に、世の中には感動できる音楽があるはずだ。
そもそもその音楽が AI によって作られたかどうかなんて私には判断できないし、判断したいとも思っていない。
前回のコラムにあげられていた「作家性」とか「人生観」とか、それって何?みたいな感じ。
ちなみに私は音楽が好きだ。大好きだ。

というわけで、前回のコラムを読んで色々と考えることがあって、調べていく内に世の中には「失音楽症」という病気があることを知りました。
歌が歌えない、音程がわからない、リズム感がない、楽譜が読めない等の症例があり、研究によっては人類全体の 4 %にこの症状が見られるということです。
クラスに一人以上は、この失音楽症の人がいるわけで、病気なのに「音痴」とか言われてバカにされているとしたら悲しい事実です。
どんな症状にもグラデーションがあるでしょうから、病気とは断定されないけれども、歌を歌うのは苦手、音程を時々外す、一人だけ手拍子が周囲とズレてしまう、なんて人はもっとたくさんいるわけで(私も楽譜は読めません)、これって本当に病気に分類していいのか、とも思うのだけれど、立派な(?)高次脳機能障害の一つとされている事実を知りました。

このことを知って、例えば、名画の価値が理解できない「失美術症(失絵画症)」や、マウスクリックできない「失デバイス症」なんてあるのか、と思いましたが(笑)、そんなものは存在しません。予想通り。
人が不得意としていることを何らかの病気と特定しまうことに危うさを感じます。

…、みたいなことを友人に話すと、それは判断の順番が違うと指摘されました。
音程を外すから「失音楽症」なのではなく、脳の機能に障害があってそのせいで音程を外すという症状が見られたから「失音楽症」なのだ、と。
ふむふむ。
音痴の人が失音楽症という病気なのではなくて、失音楽症とされる人に見られる症状の一つが音痴だ、というわけですね。うん、納得。
それでは何故、その人は失音楽症だとされたのでしょうか?そこには必ず、きっかけがあるはずで、カラオケにも音楽フェスにも行かなければ、その人は失音楽症だとされることはない(そう診断される契機がない)ということになります。
実は、これは正しい見立てのようです。
そもそも「個性(資質)」と「病気(症状)」は連続的な関係にあって、主に体調面で多数の人と違う状態にある際、その状態が日常生活に支障を来した場合にだけ、それは病気に分類されます。
何らかの身体的な変化について鈍感な人、あるいは支障だと感じない人は、「病気ではない」もしくは「病気であることに気づかない」もしくは「病気だと気づくのが遅れる」のいずれかですね。
本当に支障がないのなら、それはもう病気だと気づかないのが幸福なのは間違いありません。

つまり、鈍感であること=細かなことは気にしないということは、健康への一つの道程なのではないか。
その音楽が AI で作られた、なんてことは知らない方が、健康的なミュージック・ライフを送ることにつながるのではないか。
なんか無理矢理ですが(笑)、もっとシンプルに音楽は楽しんだ方がイイよ、と私は言いたい。
だけど、病気の発見が遅れることに、より重大な疾患へとつながる可能性も否定はできません…。

(このコラムのタイトルは AI が付けたものです ^^;)

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